第95号

学校は民主主義を育てたか~「民主主義ってなんだ?これだ!」に答えるために~
畠山幸子

 来年夏の参院選から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることを受け、高校生の放課後や休日等に学校の構外で行われる選挙運動や政治的活動について、「家庭の理解の下、生徒が判断し、行うものである」とする文科省通知(「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」2015年10月29日)が出された。1969年の文部省通知(「高等学校における政治的教養と政治的活動について」1969年10月31日)で「放課後、休日等に学校外で行なわれる生徒の政治的活動は、一般人にとつては自由である政治的活動であっても、…(中略)…学校が教育上の観点から望ましくないとして生徒を指導することは当然である」とされてから、44年ぶりの改正である。

 1969年当時、私は中学生だった。多くの大学での闘争が報道されていた。神奈川の県立高校でも、翠嵐や希望ヶ丘、川崎などで、授業の意義や評価のあり方、制服・制帽の自由化などが生徒と教員の間で議論されているといった噂も聞こえていた。また、関西フォークなどを通じて、ベトナム戦争のこと、理不尽な差別のこと、受験偏重教育のことなどを知り、私なりに考えたりもしていた。しかし、通学していた公立中学校は、進路実績をあげることに血道をあげており、テストで点がとれない生徒たちにバケツの水を浴びせたり、昼休みも教室で勉強させるため、竹刀をもった教員が廊下をうろついていたりしていた。3学期に入ると、当時神奈川県の高校受験の資料となるアチーブメントテスト対策として、実技教科はすべてテスト練習の座学にあてられた。当然「なぜ?」を連発する私に、ある教員は、「あなたには少女らしい清純さが、かけらもない」などと、お門違いの言葉をなげつけたが、その教員は働き続ける中で、性差別を受け続けてきたであろう女性教員であった。それでも、点取りゲーム自体はさほど苦にならなかったし、ア・テストが、一種の保険としての役割を果たすことも知っていた。同年齢の保坂展人さん(現世田谷区長)の内申書裁判のことを知ったのはもっとあとのことである。
 高校に入ると、3年生を中心に制服自由化の運動が行われていた。中学校も高校も、校則上は「標準服」であって、「制服」ではなかったが、デパート等で注文させられるのはすべて決められたスタイルで、サイズ調整以外のオーダーには一切応じていなかった。入学したばかりの私は、生徒総会、生徒集会で自由化を説く3年生に共感をおぼえ、胸踊らせていたが、あっという間にこの運動は終息した。教員の介入もあったのだろう、「私たちは、制服などという、どうでもいい問題に時間を費やすほどヒマではない」という空気がみるみる蔓延し、議論の場に集まる生徒はほとんどいなくなった。あれほど広がりを見せていた学生運動もその先鋭化と暴力性に社会的支持が急速に失われた時期でもあった。私自身、さまざまな運動の終焉を見、そして運動が盛んな時期にも、女子学生が「おにぎり部隊」であったり、初めての性経験がバリケード内のレイプであったりといった話を聞くにつれ、運動への興味は失せ、文学の世界に耽溺し、「私生活中心主義」に陥っていった。それでもまだ、LHRで公務員のスト権について話し合ったり、埼玉の高校の部落解放研と交流し、血友病を理由に高校を不合格とされた0さんの運動を論じたり、生徒委員会を通じて校内出版物の自由化を実現したりはしたが、自己完結的な関わり方にすぎなかったように思う。

 1954年、東西冷戦の激化を背景に義務教育諸学校における政治的中立に関する2つの法律が成立、1960年、60年安保の盛り上がりを背景に、高校の生徒会が学校外の問題を扱うことを不適切とみなす文部事務次官通達、そして1969年の文部省通知である。学校は、生徒が現実の社会に目を向け、さまざまな課題に関与することを許してこなかった。そして、その代わりに自分の将来、つまりはいい学校、いい会社へ行くために勝ち抜くことを求め、それを数値目標とする学校さえある。「私たちは、○○などという、どうでもいい問題に時間を費やすほどヒマではない」という感性を育てた学校に、「若者の政治ばなれ」を嘆く資格はない。

 2015年、戦争法案を阻止するために若者たちが大きなムーブメントをおこした。エアコンのきいた教室で、流行りのメークやファッションの話でもしていれば良かったはずの若者が、自分の意思を、自分の言葉、自分の声で語り始めた。最初彼らのコールは「民主主義ってなんだ?」という問いかけだった。それが「民主主義ってなんだ?これだ!」という確信にかわり、ネット等での匿名の罵詈雑言にも耐えて運動を継続している。学校はこれに答えることができるのか。評論家の佐高信さんは、SEALDsの奥田愛基さんについて「(不登校等で)学校に毒されていない」と評した。学校が、生徒自身の将来のみに目を向けさせる功利主義的な学習観を脱し、主権者として賢明な判断ができる主体を育てるために、多くの若者が自分の意思で関わっていきたくなるような仕掛け作りをする必要がある。そして同時に、SEALDsの女性メンバーに対し、より悪質な攻撃が繰り返されることに見られるように、いまだに女性が自由に発言することに反感を持つ未熟な日本社会を変えていく基盤を、学校がつくっていく必要がある。それが、民主主義を育てることでもあると思うのだ。
(神奈川県高等学校教職員組合書記長)


学校図書館は、今・・・
田部井志英

 この原稿を書いているのは、ちょうど県立高校の入学選抜試験の時期にあたります。学校全体のことですから、学校図書館にも様々な形で関わってきます。司書に割り振られる入選関連の仕事もありますが、なによりもまず入試期間は開館ができません。くわえて、うちの学校は図書館のある棟が前後の処理期間も完全閉鎖されてしまいますので、卒業を控えた三年生への返却督促や図書委員会の広報誌を卒業式に渡すために一・二年生の図書委員と一緒にやらなくてはならない作業を効率よくこなすため、こまめに生徒たちと連絡を取り合っていかないといけません。
 学校図書館の図書館業務は専門職員が担当する作業を、利用者でもある生徒と一緒に行ないます。ブックフィルムをかける作業、蔵書のデータ化や広報誌の編集をするパソコン作業、広報用の記事作成も生徒と一緒にやります。もちろん生徒によって手際の良し悪しや作業の好き嫌いはありますが、私は仕事を選ばせる時に何でもやってみるように勧めています。経験を考慮して割り振ることもありますが、どの作業でも一人一人にいろいろと声をかけて、ダメ出しよりも必ず気を付けてほしいことや工夫の仕方をアドバイスするようにしています。そして、私自身が作業するときはできるだけ図書委員ではない一般生徒の目に触れるようにカウンターでやるようにしています。カウンターの図書委員と話しながら作業していると、時に一般生徒が興味津々に覗き込んできます。ここが新図書委員をゲットするチャンスです(笑)。学校図書館は専属職員が一人なので、図書委員の人員確保は通年の課題なのです。
 そして、年度末のこの時期に一番気がかりになるのが職場の異動です。私は臨時任用の学校司書として十年(十回?)以上採用されていますが、毎年三月末には退職です。翌年度が在職校に継続勤務だとしても、退職の一か月前には手続きをして、春休みには一時的に無職になります。この退職は毎年繰り返し行うので、私はすでに十回以上の退職金をいただいております(苦笑)。臨時任用なので基本的に契約は一年限りです。雇用されるたびに一年後には次の勤務者に引継ぎを行なうことを前提に、日々の図書館業務をしているわけです。生徒たちにとっては三年間の短い高校生活の中の三分の一。その貴重な時間を過ごす学校図書館が、少しでも彼らの将来に役立つ知識となればと願って接しています。
 学校図書館は利用者が学校内に比較的限定されていて、利用者数は公共図書館と比べようもないと思います。しかし、教育活動の一環としての図書委員会の運営や多教科におよぶ授業利用の補助業務、近年では保健室と並んで校内における居場所としての機能も期待されています。どの業務も人間関係の構築や学校ごとの傾向の把握といった経験を継続的に蓄積していく必要があるものばかりです。
 ここ数年で司書の新規採用試験が再開し、昨年は経験者を対象にした中途採用試験も実施されました。それでもまだ数多くの学校司書が臨時任用職員として給与の頭打ちや療休、出産といった福利厚生面で悩み、在職年数が長くなるほど転職を考える人や離職してしまう人が出ているのが現状です。これからさらに多様化していく学校教育の一端を担う学校図書館が負うべき責任や期待は大きくなるばかりです。その学校図書館の要である学校司書が積極的に教育に関わり、その専門性を発揮するためにも安定した雇用や経験と能力に基づく雇用契約の改善が図られることが大切だと思います。
(生田高校)


書評と紹介
鳥越泰彦著
「新しい世界史教育へ」
飯田共同印刷 2015年3月刊

 「盲点を突かれた」「勉強不足をさらけ出してしまった」「今まで自分が勉強し授業を展開してきた歴史や歴史教育はなんだったのか・・・」
 上記のような言葉しか発することが出来ない衝撃を私に与える一冊となった。
 著者の鳥越泰彦氏は、大学、大学院でドイツ史や東ヨーロッパ史を中心に研究され、その後、麻布学園中学校・高等学校で長らく教員として勤務された。しかし、2014年3月、韓国の高校との交流のため生徒引率していた滞在先のホテルで急性心不全のため急逝し帰らぬ人となった。
 鳥越氏は、3つの顔を持ち合わせる人物であった。第1は、「歴史教育者」としてである。1990年、麻布学園に着任以来、高校生や中学生に対して歴史とくに世界史を中心とした授業を展開された顔である。第2は、「歴史教育指導者」としてである。青山学院大学をはじめとするいくつかの大学で将来、歴史教師となる学生に対し教科教育法に講義する顔だ。そして第3は、「歴史教育研究者」としてだ。教科書や問題集の編集に携わりながら、教育特に世界史教育に対して論文を書き世に発信していく顔である。3者の顔を持つことが、発言や論文などに教育現場からの重みのある意見となったのである。
 本書は、3者の顔を持つ鳥越氏が急逝されるまでに書かれた世界史教育における論文・授業実践記録と、彼と3者それぞれの立場で関係した者の回想や解題などを入れ、一冊の本としてまとめたものである。構成は、「はじめに」「第Ⅰ部 歴史教育論」「第Ⅱ部 授業実践」「第Ⅲ部 未来への構想」「第Ⅳ部 回想記」「執筆一覧」「解題」「あとがき」となっている。自らの関心があるテーマから読み進めていくことができる。私が興味を持った論文を3つ紹介したい。
 1つ目は、第Ⅰ部 歴史教育論」の「第2章 学力観から見た中等教育における日独歴史教科書比較研究」である。日本では教科書会社の工夫はあるにせよ中等学校段階では用語や文字の分量、学習方法に大きな違いはない。しかし、ドイツでは基幹学校、実科学校、ギムナジウムなど校種毎に違いが存在し、学力差に比例した教科書となっている特徴があると分析している。
 2つ目は、「第6章 戦後世界史意識の変遷 -高校世界史教科書の分析から」である。「教科書レベルでの世界史像(中略)は、指導要領の世界史像を先取りするものであったこと(後略)」また教科書は「指導要領の世界史像より多様であった」と記している。著者は、この論文を通して教師は、教科書も一つの世界史像に過ぎないことを認識し授業に取り組むべきとしている。
 3つ目は、「第Ⅱ部 授業実践」の「第4章 『2006年度卒業アルバム』のインタビューから」である。氏が、「歴史教育指導者」として大学で教科教育法を教えることになった理由を、「何のために歴史を教えるのかっていうのを初めて真剣に考えたっていう」こと、「歴史好きが歴史の教師になるから歴史嫌いが生まれるんだなっていうのがわかった」ことについて語っている。大学で教科教育を教える中で感じたことを率直に語り、教員が歴史嫌いを生むことがあることを語っている。
 私は、今年で教員として12年目に入った。非常勤講師時代に、専門とする日本史を担当して以後、小学校教員3年間を除き、毎年、世界史科目を担当してきた。どの職場でも「世界史」を担当していることから、いつしか世界史専門と職場で認識されていることが多い。しかし、日本史・世界史専門ということは抜きにして、私も鳥越氏のように3者の顔を持ちながら、教育という場から発言していくことを理想としている。そのような者にとって、原稿を読んだ直後に出てきた言葉は、冒頭のものであった。氏の冥福を祈りつつ、後に続く「歴史教育者」「歴史教育指導者」「歴史教育研究者」として氏の残した業績を踏まえながら、「新しい歴史教育へ」が少しでも前進できるよう私も微力ながら教育活動に励みたいと感じた。
(神奈川工業高校定時制 加藤 将)

石川大我著
「ボクの彼氏はどこにいる」
講談社文庫 2009年3月刊

“「好きな人と映画を観て食事をする」そんな些細なことがたまらなく羨ましかった。”こんなことを思っている生徒が身近にいるとしたら、それはなんて悲しいことだろう。しかし、この言葉がフィクションではないことは、多くの養護教諭が経験上知っていることだろう。
 本書は、現在は東京都豊島区議会議員の石川大我氏が自身のセクシュアリティについて葛藤し、そして受容してからの世界の広がりを著した一冊である。石川氏は自身が「セクシュアルマイノリティ」であることを公言している数少ない政治家である。「セクシュアルマイノリティ」とは石川氏のような「ゲイ」のほかに、レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーなどの性的少数派のことで、頭文字をとって「LGBT」とも言われる。その割合は人口の3%~5%と言われており、これは学級に1~2人が在籍していることを意味する。しかし、多くの同性愛者は同性を好きになるなんて「普通」じゃない、と自身の思春期を「異性愛者」として振る舞うことが多いため、周りはおろか、当事者同士も気づかないことがある。現に本書の中でも、著者の中学時代の友人が自分と同じゲイであったということに全く気付いていなかった、と著している。
 1974年生まれの著者にとっての思春期は、今と比べて情報量の少ない時代であった。当時の小中高生の情報源は、テレビを中心としたマスメディアである。その中で取り上げられるゲイといえば、「ホモ」「おかま」といったマスメディアが作り出した一種のキャラクタであり、お笑いの対象であった。“バカにされ、「笑いのネタ」にされるところを見せつけられる。これでは「同性が好きな自分」を肯定できるはずがないのだ。”本書の中で著者はこう語っていた。
 思春期とは、自分は一体何者なのか、自分の存在意義とは何なのか、それらについて考える時期である。そういった大事な時期に同性愛者の多くは、性という人間にとって根源的なアイデンティティを確立することが困難な状態にさらされる。「昨日のテレビ、○○ちゃんかわいかったよな」という日常会話の中でさえ、「男(女)なら女(男)を好きになる」というヒドゥンメッセージに溢れ、「男(女)だけど、男(女)が好き」という自分自身は誰からも肯定してもらえない。思春期の時期に、友だちと同じ思いを共有するということ、辛い思いを共感してもらうということは、自分の存在を肯定することにつながる。著者のようにそういった作業ができないということは、どれほどしんどいことなのだろう。“いつかボクも女のコに恋する。「フツー」になれる”、何度そう自分に言い聞かせてきたのかと想像すると、胸が締め付けられる思いである。
 私はセクシュアルマイノリティについて考えると、いつも他のマイノリティの問題とリンクすると感じる。例えば、本校は外国につながる生徒が多数在籍している。外見も名前も「私たちと同じ日本人」のような生徒も多い。そんな彼らの前で、「ガイジン」というキーワードを排他的に使ってはいないだろうか?たった一言でも、それが相手に与える影響について鈍感になってはいないだろうか?目の前にいる人のアイデンティティが自分と同じだと思い込んでいないだろうか?「私たち」とは一体誰のことをさしているのだろうか?
 本書はストレートな言葉でこれらのことを投げかけている。「自分らしく生きる」ということは、認めてもらうことでも、許してもらうことでもない。違いを認め合うことだ。そのことの意味と、その先にある可能性について目の前にいるすべての生徒に伝えていきたいと思った一冊である。
(大師高校 養護教諭 渡邉麻美)


映画時評
『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々』

 映画『白バラの祈り』は2005年に公開された作品である。舞台は1943年ドイツのミュンヘンである。ヒトラーによる独裁政治が続くドイツ国内で、抵抗運動が起こっていたが、その一つが「打倒ヒトラー」を掲げた「白バラ」の運動であった。ビラの発行を通して抵抗を訴えていた運動に関わっていた女性ゾフィー・ショルが、ゲシュタポ(秘密国家警察)に逮捕され、処刑されるまでの短い5日間が映画の中で描かれている。
 1942年6月終わりから7月初めにかけて「白バラ」第1号のビラが大学生やミュンヘンに住む教師・医師・公務員・飲食店の主人などに配布されたことから「白バラ」の運動は、始まる。ビラの内容はナチズムに対する抵抗を訴えるもので、郵送などの手段で各地に送られた。この運動の中心人物はハンス=ショル、アレックス=シュモレル、ヴィリー=グラーフである。ビラを発行する活動は一時中断されたが、彼らが東部戦線から戻ってくると再開された。新たに作成された第6号のビラではスターリングラードの戦いでドイツ軍が敗北したことに触れ、ヒトラー打倒を呼びかけた。
 この第6号の残ったビラをハンスが大学で配る計画を仲間に打ち明けるところから映画の重要なシーンとなってくる。兄ハンスとともに妹ゾフィーは、1943年2月18日に大学に向かう。二人は大学構内にビラを少しずつ束にして階段や講義室のドアの前に置いた。ゾフィーが3階の手すりに置いたビラの一部を手で払うと、ビラは光庭へと舞い降りていった。階段を急いで降りる二人を大学の用務員ヤーコプ=シュミートに呼び止められ、捕えられる。そして、ゲシュタポに連行され、長い尋問が続く。
 この映画での中心はゾフィーとモーアの尋問との場面である。最初の尋問で事件への関与を否定するゾフィーに対し、モーアはその供述に疑いを持ちつつも信じる様子をみせ、すぐに釈放されるだろうとほのめかす。しかし、ゲシュタポの家宅捜索とハンスの自供により事態は大きく変化していく。二回目の尋問が始まり、モーアの追及は厳しさを増していく。この場面がこの映画の見せ場といえるだろう。家宅捜査で見つかったピストル、切手シート、タイプライターなどの証拠をもとにモーアの厳しい追及が始まる。ハンスの調書と署名を見せ、ビラを作成したのが誰かをゾフィーに問い詰め、ついにゾフィーは自白を始める。その後の尋問の中で、感情を高ぶらせていくモーアにゾフィーは冷静に答えていく。さらにモーアは他の協力者がいたことを疑い、執拗に尋問を続けていく。法律でしか秩序は保たれないと主張するモーアが、「法律でなければ何に頼るのか」と質問すると、ゾフィーが「良心」と答える場面がとても印象的である。
 起訴状を見せられ明日(22日)には民族裁判所が行われることがゾフィーに伝えられる。裁判当日、法廷で兄ハンスと再会したゾフィーらに対する長官フライスラーの尋問は一方的に行われ、3人に死刑判決が下され、その日のうちに刑が執行される。
 ナチ側にいるモーアやフライスラーが怒りをみせ、感情を高ぶらせて話すのはヒトラーに似ているが、それに対して論理的かつ冷静に答えていくゾフィーたちの態度はとても対照的である。
 この映画の脚本を手掛けたフレート・ブライナースドルファーは、『「白バラ」尋問調書』の編者であり、新たに見つかった尋問調書に基づくこの作品は説得力を持ち、真実を忠実に伝えている。
 高校での世界史授業で活用したい映画である。ナチズムの時代のことは歴史的な事実のみを扱うだけで終わってしまいがちである。しかし、すべてのドイツ人がナチ党の政治に追随していたのではなく、それに抵抗しようとしていた人々がいた事実を伝えることは大切ではないかと思う。「白バラ」運動が文字による抵抗運動であり、これが有効な手段であったことに注目したい。この抵抗運動の存在は、ドイツがなぜ敗北したのか、ドイツ国民にとっての戦争責任とは何かを考えるときに、重要な示唆を与えてくれるであろう。
(城郷高校 大久保敏朗)


今はなき野庭高校
 1970年代の公立中学校卒業者の急増と高校進学率の上昇に対処するため「15の春を泣かせるな」をスローガンに「100校計画」をスタートさせた。
 1975年横浜日野高校(横浜南陵高校)のプレハブ校舎を間借りして4学級でスタートした、当初は1年半もあれば新校舎に引越ができると期待していたが馬洗川の工事(グランドが川の遊水池になっている)が長引き、さらに建築会社のもたつきがあり、完成が1977年の8月にずれ込み、一期生が3年の二学期にやっと新校舎での生活が始められる有り様であった。そのため、一から三期生までは4クラス、四・五期生は10クラス、それ以降は12クラス編成であった。エレベーターのない6階建の校舎で使い勝手が悪かった。
 創立当初の合い言葉「伸びる、伸ばせ、野庭」をモットーに、1年次RT(Review Time)・2年次AT(Advanced Time)・3年次PC(Progressive Course)を創設した。
RT‥‥‥国語・数学・英語の演習として各自が苦手科目の克服を目指し1科目を選択する。(数学選択者が多い)
AT‥‥‥国語・数学・英語の演習として各自が得意科目の伸長を目指し1科目を選択する。(少人数授業で三期生までは4クラス6から8展開その後10から12クラス十二から十四展開)
PC‥‥‥文系・理系の中から進路目標に合った科目を選択する。
 学力別クラス編成ではないので生徒が劣等感を持つこともなく、中学から高校へ橋渡し行われ苦手科目の克服に貢献できたと思う。(RT)また、RTの結果をふまえ各自がどの科目を前進させたいのか考えて2年次の選択を決めていった。それが進路に反映されたと思う。(AT)しかしながら教材研究は多忙を極め、我々教員も若かったから実施できたと思う。六期生から12クラス編成で全学年が12クラス編成なった時点で空き教室がなくなりRT・ATは行われなくなった。
 旅行研修(修学旅行)は生徒の主体的な計画立案、各地の生活・自然・文化財等の見聞を広め各自が自立的な行動がとれるよう拠点方式で班別行動を中心として行った。一から五期生までは1年次名古屋方面(2泊3日)、2年次岡山方面(2泊3日)、六期生以降は12クラス編成であったため2年次のみ3から4方面の拠点方式に変更(3泊4日)
 私が31から44歳までの13年間勤務した野庭高校での思い出がその後の教員生活に多大な影響を与えたと思います。
(1978年4月~1991年3月在勤 山﨑郁男)


速報! 県民図書室が変わります
教育文化事業推進委員会(県民図書室の運営方針等この委員会の協議で決まります)で1年間、県民図書室の今後の在り方を検討した結果、2016年度より県民図書室は次のように変わります。
1.予算を大幅に減らします。
教育文化事業基金(主任手当拠出金の積み立てで図書室資料購入費の財源)についての見通し、会館財政の逼迫、更に県民図書室の収納能力も考慮し、予算を大幅に減額しながら、図書室が長期にわたって安定的に運営できることを目指します。
2.県民図書室創設時の原点に立ち返ります。
従来、財政的なゆとりを背景に来館者を増やすため、手に取りやすい本や話題になっている本などを中心に幅広く選書する傾向にあったが抜本的に改めます。
原点に立ち返り、研究所・組合関連で入手した資料、各県立高校校内資料、学校関係者が遺した資料で神奈川の教育史を知る上で貴重だと思われる資料、組合関係資料(教研・分代・中央委員会・定期大会専門委員会等資料など)聞き取り調査の資料などの更なる発掘・整理を中心業務とし、二次資料を作成するなどして、所蔵資料を活用できる体制を目指します。なお、広く一般に公開する方針は変わりません!
3.購入資料は研究に必要と思われる基本図書に限定します。
予算を上限20万円(今年度資料購入実績72万円)とします。DVD等視聴覚資料の購入も中止します。
公共図書館にあると思われるものは購入せず、所蔵図書館等を調査紹介することで引き続き利用者の便宜を図ります。
4.購読雑誌は次の7点に絞ります。
「教育」かもがわ出版 月刊/「子どもの権利研究」日本評論社 年2回刊/「POSSE ポッセ」NPO法人POSSE 季刊/「教育学研究」日本教育学学会 季刊/「季刊 人間と教育」旬報社 季刊/「教育再生」日本教育再生機構 月刊/「Fonte(旧・不登校新聞)」全国不登校新聞社 月2回刊 
なお判断基準は ①教育に関する基本資料といえるもの/②若者世代をめぐる諸問題をテーマにもつもの/③教育現場での日常的な教育実践に関するもの/④公共図書館等では収集されないレベルの教育に関する専門資料 とし、寄贈雑誌(「教育委員会月報」 第一法規 月刊、「季刊フォーラム教育と文化」アドバンテージサーバー 季刊 他)についてもこの基準に照らし受入・公開します。
※具体的な利用方法などの変更点については新年度に入ってから改めてお知らせします。


余瀝
 進学校で求められている教員の在り方、中堅校で求められている教員のありかた、教育困難校で求められている教員のあり方、これに共通している部分は確かにあるが、違う部分もある。これは経験的にわかったことだ。全てを満たすことは、不可能な気がするが・・・
編集 県民図書室 石橋 功