第89号

不登校生徒の対応から見る高校教育現場
~「青年期の心」の活動15年、今考えていること~

石橋 功

 15年以上前に神奈川高教組の教研に「青年期の心」という小委員会を立ち上げ、それ以来多様な個性を持つ子どもたちを研究してきた。この間、各学校にスクールカウンセラーが配置され各学校も多様な生徒に対する対応が必要とされてきたはずである。
 しかし現在も、日常的に「不登校」になる生徒が増えている。あんな学校いかないと宣言して「登校拒否」という明確な意志を持つ生徒からはじまり、なんとなく朝起きれずなんとなくいかなくなってしまうパターン等々、100人の「不登校」生徒がいれば100通りの理由があるといわれるように多種多様な理由がある。そうなると「不登校」生徒に対してどういった指導方針を取るべきかを考えてみれば100通りの指導方針が求められるであろう。しかしそういった多様な指導方針は取られず、マニュアルに従って、無断で休むと親に連絡して登校を促す。その場合生徒は親に言われて家をでる、しかし学校にいかずどこかで休息する場合もある。そのうちに家の電話を自分で取り担任には親は不在といいごまかすようになる(「熱心な」担任は勤め先、親の携帯に無断欠席を連絡する)。次に担任は家庭訪問を行い、本人、親に登校を促す。担任が帰宅後、親と生徒の修羅場になり、生徒は「引きこもり」になっていくパターンがある(「熱心な」担任の生徒の場合、修羅場に至るのが早い場合が多い)。
 「不登校」生徒が学校に行かなくなった理由の多くに学校での生徒の「孤立」がある。もちろん「いじめ」を伴う場合もあるがそこまでいかなくても「孤立」している生徒は、基本的には学校が楽しい場ではない。学校は無理をしなければいけないところである。特に授業中は耐えられても休み時間、体育祭、文化祭、修学旅行等の一般的生徒に楽しい学校生活は「孤立」している生徒にとって苦痛なのだ。そこへの参加の強制は「不登校」の出発点になる。高校では「不登校」は中途退学への道につながり、長期の「不登校」は中途退学をすることが多い。「熱心な」担任は「不登校」な生徒を追い詰め中途退学に追い込んでいく。学校側の立場とすれば、高校は来たい者の来る場所という頭が高校教員のなかにあるので来たくなかったら仕方がないと納得してしまう。
逆に「不登校」生徒に登校刺激を行わなかったことによる、管理職からの追求を考えた場合、電話→家庭訪問→修羅場→引きこもり→中途退学のパターンを選ぶ教員が多い。こうしたパターンにならないためには「不登校」生徒に立ち直りの時間を与えることがなによりも必要である。実際に「不登校」体験者のその後の文章を読んでいると、「熱心な」、待てない教員より、むしろ生徒にあまり関心がないように見える、適切な距離感をわきまえている教員が非常に良かったという指摘がされている。
 高校の場合、生徒に関心があるときはだいたい生徒指導にかかわる関心が多く、こういった生徒指導に「熱心な」高校教員は学校では評価されるが、生徒から嫌われる場合も多い。それは生徒がその熱心さが生徒に向いているのではなく、学校に生徒をあわさせようとしていることを知っているからである。また、学校に向かず自分の好みに合わない生徒を自分の好みに変えていきたいという熱心な高校教員の強い意思を生徒は見抜くからである。生徒指導、特に頭髪服装指導に熱心な教員はその生徒のことを考えて指導するのではなく、学校の体裁とルールを守らないことが許せない高校教員の持つべき体質から行っているのがほとんどで、その裏側に潜むものは「学校のルールを守れない者は学校を去れ」という強い意思である。
 神奈川では現在ゼロトレランス方式なるもので厳罰化が進んでいる。ルールの厳格化の裏側には「自己責任」という新自由主義のイデオロギーがある。ルールがあってもそのルールが形骸化していたのが今までの学校の美徳であったし欠点でもあった。形骸化したルールをなくさないでルールを増やしてきたのがこの頃の流れである。ライター所持はタバコ所持と同じ処分ということで、誕生日のケーキに火をつけられないという事態まで呼んでいる。
 社会全体の正規採用の減少、非正規採用の増大といった若者いじめは、高校のルールの厳罰化をよんでいる。「そんな髪では」「そんなだらしない服装では」「そんな態度では」正規採用されないという論理が「生徒のため」という倒錯したルールの厳罰化を呼んでいる。こうした事態を変えていくとしたら、教員が生徒を伸ばすという原点に立ち返るということであり、本来的には楽しい自由な集団であるべき学校に生まれ変わることであろう。そのためには教員集団自身が自由な集団に生まれ変わらなければならないであろう。そのためには教員一人一人が自由になるためのアイテムとなる知識とネットワークをもたなくてはならない。
 私たちは湘南メンタルクリニック院長の長谷川誠先生をテューターとして『「多動性障害」児―「落ち着きがない子」は病気か?』(講談社α新書榊原洋一著)、『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』(筑摩新書柴山雅俊著)、『「依存症」社会』(祥伝社新書和田秀樹著)等の本を読書会で読んで知識を身につけてきた。またフリースクールの楠の木学園との関係を通じて様々なNPOと連携してネットワークを形成してきた。こうした実践の結果は県教研、全国教研を通じて学校現場に還元してきたと考えている。
(いしばし いさお 県立藤沢総合高校)

学校図書館は、今・・・
加藤 由希子

 少し古い話で恐縮なのですが、4年前、私は前任校の新磯高校図書館に勤務していました。
 新磯高校の図書館は、4階ですが、窓がたくさんあって明るく、気持ちのよい場所でした。向かいが3年生のHR教室なので、利用もわりと多く、10分休みごとに30~ 40人位の生徒が訪れ、一日の平均貸出は45冊前後でした。マンガが少ないのにこの数字はまあまあすごいと思います。生徒さんは、いろいろ複雑な事情を抱えた子も多くて、大変な面はあったのですが、図書館全体には活気があって“必要とされている”手応えが感じられる仕事場だったと思います。
 ところで新磯高校は、後期再編のために、その年度末をもって相武台高校と統合することが決まっていました。新磯側は校舎を使わない「非活用校」のため、図書館も、全部きれいに片づけてカラにすることになっていました。
 計画的に作業を進めなくては、と思いつつも、異動してからの3年間はあっという間に過ぎてしまい、最後の一年間で一気に作業という形になってしまいました。色々あって、大口の移譲本(相武台へ1127冊、相模向陽館へ2790冊)の選定は、ほとんどこちらでやることになり、加えて、司書の人手不足(新採用がないので)の煽りで、研究会の役員の仕事も引き受けることになり、本当に忙しくなってしまいました。とにかく段階的に本を減らしていかなくてはならないので、①大口移譲本を確定したあとに ②8月に県内高校図書館に引き取りを呼び掛け ③10月文化祭で図書委員会企画の古本市 ④1月に学校・公共図書館関係や公民館等に引き取りを募り ⑤2月に生徒・保護者・職員・近隣住民のかたなどに広く呼び掛け ⑥残りを捨てる、という計画を立てました。職場の先生方には、本当に助けて頂きました。作業のために図書館を閉鎖する時期については、悩みました。ここを居場所にしている子たちのことを考えると辛いのですが、結局、3年生の自由登校に合わせて2月から2ヶ月間、図書館を閉鎖することに決めました。ついこの前まで「本は期限内に返却しなさい」だったものが、突然閉館、そのあと「勝手に持っていっていいよ」となるわけで、生徒も随分戸惑ったと思います。
 そんな中でも文化祭で、図書委員の生徒たちと最後の古本市をやったことは、楽しい思い出です。委員長の指揮のもと、絵の得意な子は看板を描き、折り紙のできる子は飾りを作り、手づくりのあたたかい会場ができあがりました。写真はその会場です。
 2月の公開配布会も、2日間で100人以上の人が詰めかけ、盛況でした。それが終わると、あとはひたすら縛って運ぶだけ。生徒もぽつんと「なんだかさみしいね」。ほんとだよね、母校がこんな形になって、まだ使えるものもみんな捨てなくてはならないなんて。 振り返って、その頃の中学生数などを見ても、そもそも学校を潰す必要があったのかな?という疑問もあり、また、大人の事情で、生徒の貴重な高校生活を振り回してしまったという申し訳なさもあり、色々と思うところはあります。それでも、下手するともう図書館には縁がないかもしれないあの子たち、生きるのに不器用そうで、誰にも頼ったり弱みを見せたりしなさそうに見えた、あの子たちが、どこかでふと、図書館ってそんなに敷居高くないんだよ、ということを思い出してくれたら、と思います。どんな人でも受け入れて、無料で休憩できたり、本も借りて帰れて、パケット代もかけずに調べものができて、そんな場所として学校図書館が印象に残っていてくれたら、嬉しいなと思います。
(県立上溝南高校学校司書 かとうゆきこ)

書評と紹介
かながわメディアリテラシー研究所 著
『畳とメディアリテラシー』
かながわメディアリテラシー研究所 2013年6月 刊

 以前から、「かながわメディアリテラシー研究所」(通称kmnpas)の活動については知っていた。研究所のメンバーから活動記録が本になったと教えてもらい、本書を入手した。実物を手にして、まず驚いたのは、タイトルと表紙。なぜ畳?昭和の香り漂うこの和室はいったい?読んでいくと、和室は月1回開催される例会の会場であることがわかった。「畳」も、研究所の活動に大きな役割を果たしているらしい。和室で語り合ったメディア・リテラシーを巡るあれこれ。例会や合宿ダイジェスト。メディア・リテラシーを取り入れた授業の概要紹介やワークシート。「メディア・リテラシーにツッコミをいれるためのブックガイド」等々、盛りだくさんな1冊だ。
 kmnpasの所員は、設立当初から参加している県立高校の教員や学校司書だけでなく、研究者や映像作家、俳人、エンジニアなど多士済々。例会では、それぞれが得意分野を活かした報告を行い、自分の土俵に他の所員を引っぱりこむ。例会のテーマは「ディズニーファンタジー」、「オノマトフォト~写真を使ったコミュニケーションの授業」、「NFLが
変革した世界のプロスポーツ・メディア」などなど。異なる業界の人たちが集まって対話することで、新たな気づきやアイデアが生まれるのを追体験できるのが本書である。志を同じくするオトナたちが集まって、メディア・リテラシーというキーワードから広がるあれこれを、本気で面白がって議論している姿を、ぜひそっと垣間見ていただきたい。眠っている何かがムズムズして、仲間に入りたくなること請け合いだ。ちなみに、本書の奥付には「助成 財団法人神奈川県高校教育会館」とある。こういう自主的な研究活動を支援してくれる存在は、とても心強い。
 本書を読んでいて学生時代のサークルの飲み会を思い出した。先輩たちの会話の中に自分の知らない固有名詞や概念がポンポン出てくるのに圧倒されながら、新しい知識にドキドキして、ちょっとオトナになれたような気分がよみがえる。社会人になって、シゴトに必要な勉強はたくさんするようになったけれど、思いがけない方向から知的好奇心を刺激する何かと出会う機会が減っていたなあ、と改めて気づかされた。目先の仕事をこなすのに精一杯で、面白いことをキャッチするアンテナが錆びていないか?そんなことまで振り返って考えてしまうような、いい体験ができた。
 メディア・リテラシーは、今の世の中を生きていく上で、とても大事な「教養」だと思う。自分が高校生だったときに、こういうことを教えてもらう機会があったら、もっとずっと楽しかっただろう。さらに勉強したくなって、進路に影響していたかもしれない。だからこそ、今の高校生にぜひ伝えたいこと、知っておいてほしいことがたくさんある。メディア・リテラシーを扱う教科は、少なくとも高校では定まっていない。なんてもったいないことだろう。それを逆手に取って、どの教科でも取り入れてみたらいいじゃない?というkmnpasの姿勢は、学校図書館で働く立場として大いに共感するところだ。学校図書館は、学校の中でどの教科とも、どんな素材ともコラボできる存在でありたいと願っている。それに、校内で多様なメディアを揃えている学校図書館は、メディア・リテラシーの学習や実践には力を発揮する。そんなわけで、校内で何か面白いことを思いついたりやってみたくなったときは、ぜひ学校司書を巻き込んでいただきたい。きっといいコラボになるはずだ。
(横浜南陵高校 学校司書 田子 環)

安田浩一 著
『ネットと愛国―在特会の「闇」を追いかけて』
講談社 2012年4月 刊

インターネットで検索していて、ある質問サイトにこんなやりとりを見つけた。
【質問】左翼と右翼について質問です。左翼=売国奴、外国の利益を優先する人々。右翼=国を守るために外国人に厳しい人たち。ってことになってるんでしょうか?
【ベストアンサー】左翼・外国籍の右翼=売国奴、外国の利益を優先するバルタン星人。日本人の右翼=国を守るウルトラマン。
 在特会またはそれに近い者による自作自演とも思えるこの書き込みは実際、在特会の思考様式を端的に表している。彼らには、左翼とはマスコミ、政治家、外国人、公務員、労働組合、日教組等の「生活を護られている者たち」であり、対して右翼とは、左翼とたたかう「愛国者」なのである。そして彼らの「階級闘争」の最大の攻撃対象が、特権階級たる在日韓国・朝鮮人なのだ。
 彼らの言う在日特権とは、①「特別永住資格」、②「朝鮮学校補助金交付」、③「生活保護優遇」、④「通名制度」の四つである。本書も述べるように、①②④は過去の植民地支配の結果として在住する在日韓国・朝鮮人がやむを得ず用いているに過ぎず、③に至っては事実誤認に加え(国籍や民族で生活保護受給が有利になることはない)、彼らの生活苦の確固たる証である。これらを日本人が特権と呼び羨むのは、まったくの見当違いだ。
 どのような者たちが在特会の極端で偏った活動に参加するのか。本書は数多くの在特会メンバーとのインタビューを載せているが、それによると彼らは「普通の人たち」である。在特会員の平均的な姿は「人前で話すことに慣れていない。それまで政治活動の経験もない。いわばまったくの素人」である。集会やデモに参加する中高校生も少なくないという。
 在特会の何が彼らを引き寄せるのか。本書の語を借りれば「『なにかを奪われたと感じる人々』、『地域のなかでも浮いた人間』、『うまくいかない人たち』、『(非正規労働者など)所属を持たぬ者たち』が、アイデンティティを求めて立ち上がる。そしてその一部が拠り所とするのが、『日本人』であるという、揺るぎのない『所属』だった」ということになる。これだけでは数十年来の右翼と大差ないと私は考えるが、在特会と既存保守派との大きな違いがあった。それはネットの活用である。
 2009年4月の「カルデロン一家追放デモ」を動画投稿サイトに載せてから、在特会の主張やデモをネット動画で視聴し入会する者が増えた。13歳の女子中学生を「不法滞在者を即時追放せよ」と叫ぶ「うまくいかない人たち」に共感した者は在特会に加わったが、保守系の活動家多数は在特会の下品な、扇動的な絶叫に違和感を抱いた。「盛り上がることができればいいだけで、要するにネタの一つにすぎないんです。彼らはリアルな“世間”というものを持っていないからなんですよ。」との元「信者」の言葉の通り、在特会は先鋭化のための先鋭化を強め続ける。ネットの仮想空間で「朝鮮人は死ね」「反日左翼は日本から出ていけ」と絶叫するテンションそのままに、街頭行動でマイクを握りしめつつ吠える。これは青春だ、吠えることが目標であり思想もへったくれもないと本書は言う。その通りなのだろうなと納得する。
 保守系からも「常軌を逸したレイシスト集団」と断罪される在特会だが、彼らが勝ち取ったものは決して少なくない。朝鮮高校生徒の授業料無償化は阻止され、私たちの時代に新たな民族差別の跳梁を許したことは悔やんでも悔やみきれない。いまや私たちは、在特会の「闇」とは、自らとは異なる者たちへの想像力や共感を失い果てた、日本社会そのものの姿なのだという事実を直視すべきであろう。この闇は彼らだけのものではないのだ。(県立金沢総合高校 島本篤エルネスト)

ふじだなのほんだなから―県民図書室所蔵の資料案内―(3)
学校史、周年記念誌がおもしろい!(2)

■県内の公立高校の中で一番古いのは?
 前号ではクイズを交えながら、秦野高校と希望ヶ丘高校の学校史を取り上げた。「県立高校で一番古いのは希望ヶ丘(旧制の神中、一中)」と思われがちなのだが、そうではないことを明らかにした。そしてもう1つは、神中が「かつては県営藤棚団地の敷地にあった」という事実も示したかったのだ。ついでにここで補足をすると、1941(昭和16)年開校の鶴見中学(現鶴見高校)は、戦時体制下であったため、校舎建設工事が遅れ、2年7カ月ほど、横浜一中(当時)に同居していた。43年10月、新校舎がようやく完成すると、一中との「お別れ式」の後、鶴見中生徒は新校舎まで歩いて移動した。鶴見中は市内4番目の中学だから横浜四中となるはずだが、大口(神奈川区)に日大四中があったので、鶴見中と名付けられたようだ。
 ところで、「県内で最も歴史の古い公立高校は秦野高校か」というと、残念ながらそうではない。正解は、横浜市立横浜商業高校、通称Y校(戦前は横浜市立商業学校。よく間違えられるが、Y「高」ではない)である。同校は1882(明治15)年の創立だから、一中(希望ヶ丘)よりも15年も古い。横浜市立高校の歴史にまで言及する余裕はないが、Y校に次いで古いのが、前号で触れた桜丘(これまた間違いやすいのだが、校名は「桜丘」であるのに対して、学校所在地は「桜ヶ丘」なのである)。男子校だったY校に対して、遅れること45年後の開校(1927年)となった(市立実科高女。その後、市立高女と改称)。■創立100年を超えた県立高校は何校あるか?
 以下に、「創立100年以上」の県立高校名を一覧表にまとめてみた。

【資料】開校100年以上の県立高校一覧

現校名 開校年 開校時の校名 校名の変遷
秦野 1886(明治19) 三郡共立学校 注1) 県奈珂中学校→県立秦野中学校
希望ヶ丘 1897(明治30) 県尋常中学校 県立第一中学校→県立横浜第一中学校→県立横浜第一高校
小田原 1901(明治34) 県立第二中学校 県立小田原中学校
横浜平沼 1901(明治34) 県高等女学校 県立第一高等女学校→県立横浜第一女子高校
厚木 1902(明治35) 県第三中学校 県立第三中学校→県立厚木中学校
厚木東 1906(明治39) 愛甲郡立女子実習補習学校 愛甲郡立実科高等女学校→県立厚木実科高等女学校→県立厚木女子高校
中央農業 1906(明治39) 愛甲郡立農業補習学校 愛甲郡学校組合立愛甲農蚕学校→県立愛甲農業学校→県立愛甲農業高校
横須賀大津 1906(明治39) 組合立横須賀高等女学校 2) 横須賀市立横須賀高等女学校→県立横須賀高等女学校→県立横須賀女子高校
吉田島総合 1907(明治40) 足柄上郡立農業補習学校 足柄上郡立農林学校→県立農林学校→県立吉田島農林学校→県立吉田島農林高校
小田原城内 1907(明治40) 小田原町立小田原女学校 小田原町立小田原高等女学校→県立小田原高等女学校→県立小田原女子高校
横須賀 1908(明治41) 県立第四中学校 県立横須賀中学校
平塚農業 1908(明治41) 県立農学校 県立平塚農業学校
上溝 1911(明治44) 学校組合立鳩川農業学校 3) 上溝町他6カ村学校組合立鳩川高等女学校→県立上溝高等女学校→県立上溝女子高校
神奈川工業 1912(明治45) 県立工業学校
横浜翠嵐 1914(大正3) 県立横浜第二中学校 県立横浜第二高校

注1)正式名称は大住、淘綾、足柄上郡三郡共立学校 2)横須賀町豊島町組合立横須賀高等女学校 3)高座郡溝村・田名村・大沢村学校組合立鳩川農業学校
【出典】神奈川県教育委員会『神奈川の教育 戦後30年のあゆみ』1979年をもとに筆者作成。

 今秋に記念式典を実施予定の横浜翠嵐(横浜二中)を含めると、表中には15校の校名が挙がっている。ただし、小田原城内は100周年を迎える直前の2004年、小田原高校と統合しているので、この表には入れない方がよいかもしれない。旧制の高女(高等女学校)が5校あるが、横浜、小田原、厚木各地区では、旧制中学の開校から数年後に開校している。一方、この表を作成して気がついたのだが、横須賀地区だけは高女(現、大津)が先となり、2年遅れて四中(現、横須賀)が開校となっている。
 表中に校名の変遷を入れてみたが、横浜市内に2校目の中学校(現、翠嵐)が開校した(1914年)のと同時に、横浜一中、横浜二中とする一方、旧二中を小田原中、三中を厚木中、四中を横須賀中へと改称した。奈珂中(現、秦野)のみ例外で、県に移管後の1935(昭和10)年、秦野中と呼ばれるようになった。
■二中の帽章は一中と同じ「神中」だった
 前回は最古の秦野中と一中(希望ヶ丘)を取り上げたので、今回は旧制二中と三中の学校史を紹介する。小田原高校の前身である神奈川県第二中学校の開校式は1901(明治34)年4月28日に行われた。その2日前の26日、県庁にて「御真影奉戴式」(御真影とは、天皇・皇后の肖像写真)なるものがあった。開校時には「立」の文字が入っていないが、翌月7日、すなわち開校式から10日後、県立第二中学校と改称された(文部省令により、全国一斉に師範学校・小学校を除く学校名に、「何々立」の文字をかぶせることになった)。二中は第一高女(現、平沼)と同様、「20世紀元年」に誕生したことになる。
 初代校長は鳥取県立一中校長だった吉田庫三という人物。松下村塾卒で吉田松陰の甥にあたる人で、わずか33歳というから驚きだ。入試は国語・算術と体格検査。当時の中学校進学率(全国)はわずか3%。
 帽章には一中と同じく「神中」の文字。帽章は生徒に貸与され、卒業時には返却しなければならなかった。新制高校の発足(48年)と同時に「神中」の帽章の改正問題が浮上、「神高」でもよいとの意見も根強かったが、教員・生徒全員投票により、新校章「樫の葉」に決まった。「生徒心得」によれば、和服で外出するときは、袴をはき、制帽をかぶるきまりとなっていた。「神奈川県立中学校規則」(1901年)によると、夏期休業が7月21日から9月10日まで。その代わり、学年末休業(3月26日~31日)はなし。授業料は月額1円だったが、8月分はとらない。1日の授業は5時間(午前中4時間、午後1時間)、授業時間は45分だ。
■兎狩りと花柳病検診
 二中では、開校2年目の03年1月、全校生徒(1・2年のみで約170名)による兎狩りを実施。久野村(現在の小田原市久野)の山中で実施されたが、その時捕獲された2羽の兎は小田原の御用邸(小田原城二の丸内)に避寒中の「お姫様」(15歳と17歳の明治天皇の皇女)に献上された。兎狩りは生徒に人気の学校行事だったようで、毎年1月に実施され、戦後の46年まで続いた。(『小田原高校百年の歩み 資料編』2002年)
 兎狩りといえば、1902年開校(設置は1900年5月。当初は海老名村に建設する予定だったが、土地取得が困難となり、愛甲郡南毛利村の現在地に変更)の三中(厚木高校)でも、年中行事として行われていたとの記述があった。「最初は体力づくりや団体生活の訓練として行われてきたが、昭和に入ると次第に軍事教練に採り入れられるようになった」と厚木高校百年史である『戸陵の歩み 歴史編』(2003年)に記されている。同書は600ページを超える分厚いもので、横書きの2段組み編集となっている。学校日誌や要覧などをもとに詳細な時代年表が作られ、それらをもとに年度別に学校生活など多岐にわたる記述がなされている。
 「太平洋戦争下の生徒と学校」の項に、「花柳病検診」に関する記述がみられ、「17歳以上を対象に昭和17年(1942)7月と同18年(1943)6月の2回実施」(同書186ページ)とあった。他校の学校史ではまだ確認できていないが、戦前の旧制中学校では、このような検診がなされていたのだろうか。
 【訂正とお詫び】前号において、「現小田原高が開校した1900年に」(7ページ1行目)との記述があるが、これは誤りで、
 正しくは「1901年」である。記してお詫びを申し上げます(筆者)。
(綿引光友・元県立高校教員)

最近の雑誌記事より
県民図書室で定期購読入している雑誌のうち、いくつかを取り上げます。それぞれの雑誌の掲載内容については、その一部の紹介となります。これらの雑誌は県民図書室前の廊下の書架に並んでいます。ぜひ手にとってご覧下さい。

☆『季刊フォーラム 教育と文化』(国民教育文化総合研究所)
 2013年秋号(73号) 特集Ⅰ いじめ―いま、おとながなすべきこと 特集Ⅱ 憲法と教育のだいじな話
 2014年冬号(74号) 特集 体罰と懲戒 教育のなかの暴力と向きあう
☆『くらしと教育をつなぐ We』(フェミックス)
 2013年12/1月号(187号) 特集 困りごとが社会を変える
 2013年2/3月号(188号) 特集 塀の上を歩く人を増やそう
☆教育科学研究会編集『教育』(かもがわ出版)
 2013.11 特集1 誰がつくる学校か 学校参加の可能性 特集2 保育園に入れない!
 2013.12 特集1 教育への「行政犯罪」 特集2 子どものネット依存とLINEの世界
 2014. 1 特集1 現代の思春期と中学校 特集2 高校の特別支援教育
 2014. 2 特集1 改憲空間と教育の責任 特集2 子どもと放課後
☆日本教育学会 『季刊 教育学研究』
 第80巻第3号(2013.9) 小川正人「対雁学校の歴史―北海道に強制移住させられた樺太アイヌの教育史―」 山下 絢「子どもの生まれ月と親の階層・教育意識」
 第80巻第4号(2013.12) 特集 教師教育改革
☆季刊教育法(エイデル研究所)
 178号(2013.9) 〔特集〕 追いつめられた教師が保護者を訴える時 〔今日の焦点〕「いじめ防止対策推進法」 幼保連携型子ども園
 179号(2013.12) 〔特集〕 地方公務員災害補償基金制度と教職員の働き方
☆POSSE(NPO法人POSSE)
 2013年 9月 vol.20 特集 安倍政権はブラック企業を止められるか?
 2013年12月 vol.21 特集 “自立”を促す社会のゆくえ
☆『学校図書館』(全国学校図書協議会)
 2013年12月号 NO.758 特集 図書の廃棄と蔵書の更新
 2014年1月号 NO.759 特集 学校図書館法制定60年
☆『教育再生』(日本教育再生機構)
 2013年12月号 道徳「教科化」のグランドデザイン教科書、評価、指導法
 2014年 1月号 「日本人の心」を伝えていくために
☆『季刊 人間と教育』(旬報社)
 2013 冬 80号 特集〈ウニベルシタス〉の崩壊―いま大学に何が起こっているのか 内田 樹「大学の株式会社化」
☆『家族で楽しむ こども農業雑誌 のらのら』(2013年冬号 農文協)
 特集 手づくりしよう発酵肥料
☆『DAYS JAPAN』(発行編集:広河隆一)
 1月号 特集 特定秘密保護法廃棄の闘い、幕開け
 2月号 沖縄タイムス×DAYSJAPANタイアップ企画 沖縄の怒りを無視するな。本土の私たちはこの声を受け止めるべきだ。
☆『世界』(岩波書店)
 12月号 特集 暴走する安全保障施策
 1月号 特集 情報は誰のものか―秘密と監視の国家はいらない
 2月号 特集 空洞化する民主主義―小選挙区制20年の帰結と安倍政権
☆『切り抜き情報誌 女性情報』(パド・ウイメンズオフィス)
 2013.11 10/1~10/31 特集 なぜ防げない ストーカー殺人
 2013.12 11/1~11/30 特集 反対の中、秘密保護法裁決強行
☆『法学館憲法研究所報』(第10号 2014年1月)
 巻頭言 伊藤真「車の両輪」/2013憲法フォーラム
☆『月刊高校教育』(学事出版)
 2月号 高校生の社会性を育む

余瀝
 教科書検定基準改訂、学習指導要領解説書の「領土教育」等の加筆、道徳教科化、教育委員会制度の見直しはこの通常国会で、高校では日本史必修化、新科目「公共」導入へ等々、次々に進められている「安倍教育再生」。巻頭で、専門家を囲んで15年続く教研活動を紹介していただいた。こんな時だからこそ、学問・研究や実践に学び、相互に学び合い、目の前の生徒にふさわしい教材を選び、指導内容を自分で精選するという「教師の専門性」にこだわりたいものです。