共同時空第103号(2020年2月号発行)
Contents(ページ番号をクリックすると記事に飛びます)
1面:自分自身に問いかけながら(丸山範子)
2-3面:ふじだなの本棚からvol.6「教務規定関連の資料を漁る―教務規定の変遷は高校の姿を映す―」(永田裕之)
4面-1:図書館のレイアウトを考える(新井 栄)
4面-2:雑誌紹介: 『教育』2019年8月号~20年2月号」
1面
「自分自身に問いかけながら
(厚木清南高等学校定時制 丸山範子)
◆保健室
養護教諭は、短い休み時間に複数生徒の来室に対し瞬時に優先順位をつけ対応している。
身体症状を訴える生徒には、短時間での問診や検査、視診、触診等から、救急車を要請するのか、医療機関の受診が必要か、受診をするとしたら今すぐか、放課後でいいのか、あるいは保健室で休養させて様子をみるのか、教室での経過観察でいいのか等、緊急度・重症度を判断する。
また、生徒が訴える身体的不調の要因や背景に、人間関係のトラブルや家庭の問題等の悩みや不安、心配といった心の問題がないかを、生徒の健康状態の変化や言動・表情等の情報から問題を明確化し判断する。
生徒から「相談がある」と言われた時には、授業中であっても「今」聴くのか、休み時間や放課後に改めて約束をして話を聴くのか等様々な判断をしている。
そして、判断に基づき適切な処置や対応、同時に保健指導を行っているのである。
判断は最初に必要なものであり、その後の処置や対応に大きく影響する。養護教諭としてなぜその判断をしたのか、その判断の根拠を説明できなくてはならない。
なぜ、病院に連れて行かなかったのか。なぜ、教室に戻したのか。なぜ授業中に生徒の話を聴いたのか…。
◆自分自身を振り返る
ベテランと言われる年齢になり、経験が浅い養護教諭に「なぜその対応をしたのか、判断をしたのか、その根拠を他の先生に説明できるようにね。」と偉そうに話しているにもかかわらず、今でも不安と心配で自己嫌悪に陥りながら帰宅することがある。翌日生徒のいつもと変わらない元気な様子を見て、安堵するものの、それまでのもやもやした感じは何とも言えない。
概してそうした後悔、自己嫌悪に陥る時は「雑」に対応した時である。判断をするための情報収集が十分でなかったのである。授業開始のチャイムが迫っていて「早く教室に戻さないと」と思う気持ちや、生徒の「早く、早く、授業に遅れちゃう」の言葉。他に対応を急ぐ生徒がいたり、自分自身の会議の時間が迫っていたり。
生徒が保健室から出た後に記録を確認しながら「痛みがいつから続いているのか確認しなかった」「熱を測らせていなかった」「最近、ちゃんと3食食べているか確認しなかった」と、情報収集が十分でなかったこと、そしてその中で判断したことを後悔し反省する。
当然のことながら、知識がなければ必要な情報が何かわからない。適切な問診や検査に結びつかない。知識や経験の積み重ねは判断を容易にするが、逆に多くの可能性を考えることができてしまい不安や焦りを募らせもする。
メンタルヘルスやアレルギー疾患の増加、生活習慣の乱れ、性に関する問題等生徒の健康課題は多様化し複雑化、深刻化している。養護教諭は、常に新しい知識を得るためのひたむきさと謙虚さが必要である。そしておごることなく、「養護教諭として根拠のある対応をしているか」と常に自分自身に問いかけながら生徒に対応していかなくてはならない。
電車通勤になり、通勤の車中は読書の時間になった。車内はスマホを眺めている人ばかり。スマホを持たない私は(メールと通話ができれば十分)、読書の時間をとるためにわずかな時間ではあるが各駅停車に乗っている。
しかし、生徒対応や救急処置で気になることがあると気もそぞろで本を読む気持ちになれない。
毎日の通勤時間が読書を楽しめる時間になるように、慌ただしい毎日の保健室の中で「私は養護教諭として根拠ある対応をしているか」と、常に自分自身に問いかけていきたい。
(まるやま のりこ)
ふじだなの本棚からvol.6
教務規定関連の資料を漁る―教務規定の変遷は高校の姿を映す―
(※太字は県民図書室所蔵資料)
◆はじめにー学年制?単位制?ー
高校は戦後、単位制として出発した。学習指導要領は「従来1科目だけに失敗した生徒が1年間原級にとどまってもう一年、合格の成績をとった他の科目を含めて,全科目のやり直しをやったようなことはなくなる。」(『学習指導要領一般編』文部省、1951年)と説明していた。ところがほんの短い時期を除いて、当たり前のように学年制で運用されるようになった。すべての科目の単位が取れていても(1はなくても)「低空飛行」の場合(2がいくつかあるなど全般的に成績が悪い場合)落第させる、というシステムをとっていた学校すらあった(『ねざす』NO3、高校教育会館教育研究所、1989年、10p)。この時期、進級とか単位認定などといったことは今に比べればアバウトで、学校ごとのやり方が認められていた時代でもあった。1960年改訂の指導要領は学科ごとの必修が多く、学年指定の科目も多かった。各学校が当たり前のように学年制を実施していた上に学習指導要領もそれを公認したのである。履修と修得を区別したのは1960年指導要領からだが、当時は履修という概念を強調するよりは卒業要件として85単位の修得を強調することで、高校は誰もが来るところではないというメッセージを出したのである。
◆昨日までのやり方で明日も過ごせるか…―1980年代の特徴―
しかし、高校を取り巻く環境は急速に変化した。1950年代に40%そこそこだった高校進学率は1960年には60%に迫り、そこから急速に上昇して1974年には90%を超えた(全国平均)。神奈川では「百校計画」が始まり、毎年新しい高校が開校した。教務規定との関連で状況の変化に素早く対応して「履修のみによる卒業」を認めようという提案をしたのは自由民主党である(『高校制度及び教育内容に関する改革案―中間まとめ―』自由民主党文教部会 初中教育チーム、1975年)。
現在、県民図書室で整理している資料の中に、A高校の校長が職員会議に提案した文書がある。表題は「欠席時数と単位の認定について」(未整理)で、提案したのは1981年である。この文書によるとA高校では、「出欠常ならざる者や出席時間の不足するものについては級担任に連絡するとともに本人の指導に努める。」ことになっているが、具体的な数字上の基準が定められていないので、教員間の意思の統一が不十分で、生徒指導上の混乱ともなっている、と書かれている。A高校は旧制の中等学校だったが、それまでやってきたやり方が通用しなくなってきたということであろう。
東京都高等学校教職員教育法研究会(以下東京高法研)は1979年「単位認定・進級判定に関する高法研見解」(中間まとめ)を出した。東京高法研は、高等学校の教職員が中心となって結成された地域研究サークルである。「高法研見解」は学校で当たり前のように行われている単位認定や進級判定などについて疑問点や、問題点を提起した。(『月刊 ホームルーム』82年12月増刊号、学事出版、1982年)
東京高法研は同じ時期、高校の懲戒規定についても「見解」を出している。それまで当たり前のように行われてきたことに疑問がもたれるようになってきたのである。
◆単位制か、学年制か???
まず疑問に思われたのは「原級留め置き」という制度である。前掲の東京高法研のメンバーが編集した『生徒の学習権が危ない』(坂本秀夫・中野進編著、ぎょうせい、1989年)が包括的に「原級留め置き」について論じている。この背景には原級留め置きの絶対数が多くなってきたことがある。「生徒の学習権が危ない」には全国的な動向が掲載されているが、神奈川の現状と問題点については「原級留め置きをめぐる諸問題」(井田勝、『全国高法研会報』第1巻所収、1987年)がある。すべて現場の教師によって書かれたもので、その後問題になった論点すべてが出されているように思われる。なお、多くの場合、高校での原級留め置きは自治体の管理規則に規定されている。神奈川県の管理規則については『管理規則と学校自治』(高校制度と自治史研究会編、高校教育会館、2008年)が逐条解説をしている。
◆ 1980年代の教務規定
87年、高教組・高校教育問題総合検討委員会(以下、高総検)が教務規定についてアンケート調査を行っている(『それぞれ自前の教育課程改革を』1988年)。全日制のみの調査で、対象県立高校は167校、アンケートに回答があったのは72校である。最初に中途退学者、原級留置者、長期欠席者を調査しており、問題意識の所在がどこにあるのかが
わかる。また、冊子の該当の表題は「教育評価と、その処理(教務規定)の基本はどうあるべきか」とあり、あるべき教育評価についても正面から取り上げ、論じられている。
◆1990年代の教務規定
1999年、教育研究所が行った調査「教務規定等に関するアンケート」が『神奈川の高校 教育白書99』に収められている。この調査結果は前掲の1987年調査と比較検討されている。例えば「履修と修得を厳密に分けた規定があるか」という点について87年調査では15.3%だったが、99年調査では47.0%になった。卒業単位数は87年調査で(当時の卒業に必要な単位数は85単位)85単位が6.7%、99年調査では(卒業に必要な単位数は80単位)80単位が27%となっている。
◆ 2011年度の教務規定
2011年度に県教委が行った調査データを情報公開請求によって入手したものが「平成23年度 生徒指導・教育相談に関わる各種調査 集計結果概要」である。ただ、公開された元データが保存されていない。教育課程についての調査結果は学年制、単位制別に行われている。11年当時単位制高校は県立で11校、学年制高校は98校であった。卒業に必要な最少単位数は学年制で74単位26.5%、単位制ではほとんどが74単位である。履修と修得が区別されていない学校は学年制、全日制で31.6%である。
なお過去の学習指導要領は出版物でも所蔵されているが、より手軽にWEBでアクセスできる。https://www.nier.go.jp/guideline/
|文責 永田裕之|
学校図書館は、今
図書館のレイアウトを考える(新井 栄)
横浜明朋高校は、県内に2校ある「昼間の定時制」高校で、2014年、旧港南台高校の敷地に創立された神奈川県で最も新しい県立高等学校である。校舎は一部建て直しとなり、2019年4月、図書館は、新たに建設されたメディア棟に移転することとなった。前年4月に着任した時点で、新しい図書館の大きさや形状などは決定していたのだが、内部のレイアウトについては学校の状況を把握しながら考えなければならなかった。
本校は、午前と午後の二部制、加えて単位制でもあるため、授業時間中にも空き時間のある生徒が多く図書館を訪れる。また、様々な課題を抱えた生徒が、教室以外の居場所として図書館を利用する姿もしばしば見かける。このような特性から、図書館のレイアウトは「静かにひとりで過ごす場所」と「友だちと楽しく過ごす場所」を分けるような形を考えた。また、誰にとっても気持ちの良い場所となるように、余計なものは置かず、広々とした空間を作ることを心掛けた。
「静かに過ごす場所」については、マンガの書架付近にある丸椅子を離して配置することで、一カ所に生徒が固まらないようにし、一人でも周りを気にせずに過ごせるように配慮した。また、一人用のキャレルデスクを壁際に配置し、自習コーナーとした。「楽しく過ごす場所」については、6人用の閲覧机に加え、入り口付近には丸テーブルを置いた。移転前の図書館には、ブラウジングコーナーとして、畳と座卓、ソファが2脚あったのだが、畳と座卓は廃棄、ソファは1脚に減らした。ブラウジングスペースは図書館に不可欠の空間であるが、あまり広く取ると、一部の限られた生徒たちが集まるようになってしまう。そのような状況は、新しい利用者が図書館を敬遠する原因になると考えたからである。
資料の配置については、入ってすぐのところに雑誌架とマンガ書架を置き、特に目的がなくても図書館の中に入ってもらえるようにした。他の書架については、閲覧机とキャレルデスクを隔てる形に配置し、キャレルデスクの利用者にできるだけ静かな環境を提供できるようにした。
新しい図書館になって約10カ月が過ぎたが、昨年に比べ、様々なタイプの生徒が図書館を利用しているように感じる。まだまだ蔵書が少なく、充分な資料が提供できる図書館ではないが、これからも、多くの生徒に利用してもらえるように開かれた空間を提供していきたいと思う。
(あらい・さかえ 横浜明朋高校学校司書)
雑誌紹介:『教育』2019年8月号~20年2月号
教育科学研究会/編集・発行
かもがわ出版
★「目地」に目を向けよう!
「学校は、子どもたちをみんなでみるところです。目の前のクラスのことや、自分が与えられた仕事だけしていればいいのではありません。みなさん、お風呂のタイルを思い浮かべてみてください。自分が与えられたタイルを磨いていても、きれいとはいえません。『目地』にまで気を配る。そこを磨いてこそきれいになります。『目地』にも目を向け、磨き合える、そんな学校にしてください」(20年2月号、32ページ)
ある学校の校長が、4月の職員会議で職員に述べた言葉だそうだ。特集1「いま求められる校長の役割」に収録された「隣の席に座る同僚を気にかける職員室へ」との論稿の一節である。このような素敵なメッセージを教職員に向かって発言する校長さん、今、どれくらいいるでしょうか?
★いま、『教育』がおもしろい!
特集テーマを列挙してみよう。「『学校の働き方』を変える」(19年8月)、「縛られる学校、自らを縛る教師たち」(同9月)、「過敏な子ども・固まる子ども」(同10月)、「改革ラッシュに揺らぐ高校教育」(同11月)、「学校にしのびこむ『黙』」(同12月)、「インクルーシブと特別支援を深く知る」(20年1月)。毎号、特集は2本立て。かつてはお堅いテーマばかりが並んでいたが、数年前ほどから、興味をかきたてる特集が多く組まれるようになった。
本紙が現場に届く頃は、3月号が配架されているはずだが、「楽しい学校へ 働き方改革!」の特集号。会館に来た際は、県民図書室にもお立ち寄りください。
『共同時空』第103号(2020年2月発行)
神奈川県高等学校教育会館県民図書室
発行人:畠山幸子
編集:綿引光友
印刷:神奈川県高等学校教育会館
デザイン:冨貴大介
発行:神奈川県高等学校教育会館県民図書室