第101号

共同時空第101号(2019年3月号発行)
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1面:「斜陽」の県民図書室へのオマージュ(冨貴大介)
2-3面:ふじだなの本棚からvol.4「ジェンダー(男女)平等は進んだのか」(樋浦敬子)
4面-1:学校図書館は今…Vol.14 『なぜ今学校図書館か3』は、皆さんと共に(亀田純子)
4面-2:雑誌紹介「『季刊教育法』198号(2018年9月刊)」

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1面

「斜陽」の県民図書室へのオマージュ(冨貴大介)

1.はじめに
この小さな冊子はご覧の通り、学校にもあるような印刷機で刷られている。第97号を最後に印刷の予算がつかなくなり、今後もこの冊子のためには新たな予算を捻出することはないという。多忙な学校現場においてモノクロの手刷りのプリントが読まれることは期待できない。したがって、この『共同時空』が窒息して、そのうち「お亡くなりになる」まで、さほどの時間は要さないだろう。
しかし、私はここで弔文を読み上げるつもりは全くない。県民図書室の素晴らしい機能と、それを支える人たちの努力の積み重ねを知る者の一人として、その魅力を伝えたいという一心で筆をすすめたい。

2.小さいけれど「最強」の図書館
県民図書室が扱う情報資源(以下、資料)は、インターネットや他の図書館より断然強いものがあるということをご存じだろうか。
例えば、カリキュラムや校則を考えるにあたって他校の様子を知りたいとき、詳細な情報はネットにも出ていないし、国内最大の納本図書館である国立国会図書館でも調べることはできないだろう。人づてに聞くという方法もあるが、情報量は限られる。県に対して情報公開請求をするという手もあるが、手軽に閲覧できないことは言うまでもない。
こういう時、県民図書室は最強だ。毎年、各学校の「学校要覧」や「生徒手帳」を網羅的に収集しており、これらを活用すれば詳細に他校の状況を知り、比較検討できる。同様に、各校の「創立記念誌」「周年記念誌」なども収集しているため、こうしたものを作る際には役に立つことは間違いない。また、分会代表者会議に参加した際などに、ふらっと寄って閲覧できるのも大変便利な点だ。
他にも主に教育や労働問題を中心とした、その道の研究者の垂涎の的ともいえる「ここにしかない資料」がたくさんある。県民図書室は、このように世界のどこにもない教職員にとって役立つ貴重な情報が豊富にあるところなのだ。

3.「最強」の司書がいる図書館
どんなに役立つ資料を備えていたとしても、それを見つけやすくすることを疎かにしては意味がない。県民図書室では、専門職である司書が資料の組織化をしているため、ほとんどの資料が公共図書館のOPACと同様、WEBからも検索可能だ。例えば「新城高校の要覧を見たい」という場合も、WEB上で「キーワード=要覧」and「著者名=新城」等の体系的な検索が可能だ。
また、あるテーマについての資料を探したい、という場合にも県民図書室は便利に使う事ができる。閲覧室の資料は、公共図書館と同様に、日本十進分類法を基本に主題別に排架されているため、調べたいテーマの資料がある書架の前に立てば、関連する資料を一望することができる。
ところで、こうした資料のほとんどが市販されていないものであるから、目録作業や分類作業などの組織化も、ほとんどが手作業となる。こうした途方も無い作業を地道に行う司書がいるから、私たちは便利に使う事ができるのだ。
県民図書室は、このように現場の教職員が役立つ資料を収集・保存し、それらを利活用できるように司書が雇用され、地道な組織化がすすめられている。これを活用しない手はないだろう。

4.組合や会館の「魂」というべき図書館
県民図書室は、私たちの歴史と文化を保存している。県民図書室にある資料の多くは、教育現場で必死に働く私たち教職員たちの努力や知恵、実践の数々を伝え、そして未来へとつないでいくものだ。私たちの活動そのものの集積であり、「魂」と言って良いだろう。そして、これをしっかりと収集・保存し、利用に供する専門職である司書がいるから、こうした資料は、現在に活かされ、未来に語り継がれていくのだ。県民図書室が、このような重要な役割を担っていることを、私たちは忘れてはいけない。

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2-3面


ふじだなの本棚からvol.4
「ジェンダー(男女)平等は進んだのか」
(※太字は県民図書室所蔵資料)

昨年末12月30日の朝日新聞「天声人語」は「2018年はおそらく、性暴力や性差別の問題に光があたった年として記憶されるだろう」と記した。2018年「ジェンダーギャップ指数」ランキングで148か国中110位、G7の中で最低。医学部の入試では、女子受験生が「女性」であるがゆえに不利益な扱いを受けていたことが発覚。財務省の高官によるセクハラ。一方、被害者の告発に#MeToo運動が日本でも起こった。果たして男女(ジェンダー)平等は進んだのか?

■母性保護からワークライフ・バランスへ
女性が初めて選挙権を行使できたのは1946年4月10日。憲法、民法の改正で、女性を縛っていた家族制度は解体した。1947年公布の労働基準法で、母性保護、同一労働・同一賃金などが書きこまれた(『日本女性史』第5巻現代 / 東京大学出版会)。しかしただちに平等となったわけではない。『母性保護運動史』(ドメス出版)によれば「産前産後休暇」を実態あるものにするための補助教員の法制化運動が始まるのは1954年。1959年でも産前休暇取得平均は33.6日、産後休暇取得平均は46.2日でしかなかった。育児休業、通院休暇、法定検診特別休暇、出産補助休暇、介護をめぐる休暇等は一つひとつ組合の県との交渉の中で獲得していった。その交渉経過は、1968年から2013年まで毎年刊行された神奈川県高等学校教職員組合『働く婦人の権利と健康を守るため』(1992からタイトルの婦人を女性に変更、以下『権利と健康』と略す)に詳しい。1995年から刊行の神奈川県高等学校教職員組合婦人部『女性の権利手帳』(2008年以降は、育児、介護などをめぐる諸権利は女性だけのものではないと『ワークライフバランス 私たちの権利手帳』として全員配布)にも権利獲得の年譜など豊富な資料が掲載されている。

■25年以上前,すでにワークルールの学習、ワークライフバランスを提唱
1993年刊行の『もっと素敵に WORK&LIFE』(神奈川県高等学校教職員組合「WORK&LIFE」編集委員会 編)は、働くことは権利、働き続けるために「WORK」と「LIFE」は切り離せない、「WORK」を支える法律を知ろう、あなたらしい「LIFE」を見つけてと、ワークルールの学習、ワークライフバランスの主張、常識や慣習にとらわれず自分らしく生きることをすすめている。

■学校とジェンダー
1975年の国際婦人年、女性差別撤廃条約締結など世界の女性差別克服の動き中で、日本でも学校の中の「差別」問題への取り組みが進み、学校文化の「かくれたカリキュラム」により性差別が子どもたちに受け入れられていることが問題となった。(『学校文化とジェンダー』勁草書房)。1989年発足の神高教「女性解放小委員会」は、「混合名簿の推進/女子高の廃止/一部進学校での女子の入学制限の撤廃/家庭科共学・共修/制服廃止/運動部マネージャー問題」を課題として掲げている(神奈川県高等学校教職員組合『神高教50年史』p.257)。「かくれたカリキュラム」として注目をあびたのが、「男女別・男子優先名簿」で、問題点の整理は、学校の中の男女平等教育をすすめる会編『どうして、いつも男が先なの?男女混合名簿の試み』(新評論)に詳しい。神奈川県では、混合名簿は、1998年で75%の学校で、2005年度すべての県立高校で実施となった(『権利と健康』より)。
男女ともに学ぶ教科としてスタートした家庭科が、1963年から普通科高校では女子のみ必修となっていたが、1973年の学習指導要領の改訂ですべての女子に「家庭一般の必修」が明記され、「家庭科の男女共修をすすめる会」が中心となり精力的な反対運動が展開した。共修は、女性差別撤廃条約批准問題とも関係して、高校では1994年から実現したが、その総括が『家庭科、男も女も! こうして拓いた共修への道』(家庭科の男女共修をすすめる会 編 ドメス出版)である。女子は家庭科、男子は体育の増加単位という教育課程が行われていたことを知る人は少なくなっている。神高教でも1984年に家庭科の共学推進委員会が発足。アンケートや先駆的な実践例報告が精力的に行われた(『活動報告集 1985年度』神奈川県高等学校教職員組合家庭科男女共学推進委員会)。その他の課題では、『学校をジェンダーフリーに』(明石書店)の第4章「クラブ活動における性別分業—女子マネージャが性差別を支える」は、神高教の運動を踏まえた論考である。

■ジェンダーフリーバッシングに抗して
日本教職員組合編『日教組五十年史』掲載の1枚の写真のキャプションに“54年「家族制度復活反対」の総決起集会”とある。集会に参加している女性が掲げるプラカードに「婦人の民主化は家庭の民主化」「私たちの1票は、家族制度復活反対のために」と書かれている。実現したはず男女の平等、10年たたずして「家族制度」の復活の危機。以来、家族制度の復活の動きが繰りかえされる。
1999年男女共同参画社会基本法が制定され、地方自治体の共同参画条例策定が進む中で、「ジェンダーフリーバッシング」の嵐が吹き荒れた。東京都教育委員会が「ジェンダーフリーに基づく混合名簿禁止」を校長あてに通知、神奈川県議会でも2002年3月県教委が作成配布した「男女平等教育推進のために〜男女共同参画をめざして」に対する「改定を求める陳情」を2003年採択。また議会で教育長が「ジェンダーフリーという言葉は使わない」と発言(2004年)する(『定期大会議案書』当該年度)等々が起こり、神高教も対応を余儀なくされた。現在、ネットの世界には、21世紀初頭の「バックラッシュ」の中で喧伝された情報があふれている。まずネット検索ではなく、『男女共同参画/ジェンダーフリーバッシング バックラッシュへの徹底反論』(明石書店)や『ジェンダー・フリートラブル バッシング現象を検証する』(白澤社)『ジェンダーの危機を超える! 徹底討論! バックラッシュ』(青弓社)などを手にして、何が問題になったのか、また攻撃する側の問題点などを知ってほしい。『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根の保守運動』(勁草書房)では、急ぎすぎたフェミニストの側の問題、また発言する右派の論客だけでなく、それを支える地域の動きがあることもよくわかる。
「慰安婦問題」についても、中学校教科書叙述の攻撃が起こり、朝日新聞「誤報問題」から「慰安婦問題」そのものがなかったような言説がネットの世界で主流になっている。県民図書室のフリーワード検索では「慰安婦」で120件がヒット。最近刊行の『「慰安婦」問題を/から考える軍時性暴力と日常世界』(岩波書店)『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』(高文研)もある。ぜひ書架でそれらの書籍と対面してほしい。

■そして今、
昨年、LGBTは生産性がないという国会議員の発言が話題になった。神高教では、LGBTに早くから注目、課題としている。「新しい男女共同社会をつくる集い」で2002年、03年と続けて学習の機会を設けて、クラスにいるセクシャルマイノリティの生徒への理解を促してきた(報告はそれぞれの次年度の『権利と健康』)。
また、今“家族”が注目されている。雑誌『女も男も—自立と平等』(労働教育センター編集部編)の2018年春・夏号の特集の「家族のゆくえ」や『右派はなぜ家族に介入したがるのか』(大月書店)は、自民党が成立を目指している「家庭教育支援法」について、憲法24条改憲との関係で家制度復活をもくろむ動きとして注目している。何かを調べるときネットは大変便利だが、バックラッシュ以降、高いリテラシーがないと誤った理解に導かれてしまうのが現状だ。ジェンダー平等をめざした運動の先駆性が蔵書に反映している県民図書室をぜひ利用していただきたい。

│文責 樋浦敬子│
※太字は県民図書室所蔵資料

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4-1面


学校図書館は今…『なぜ今学校図書館か3』は、皆さんと共に(亀田純子)

昨年5月に図書館教育小委員会が発行した『なぜ今学校図書館か3』を(以下『なぜ今3』)ご覧になりましたか?A4サイズで目を引く黄色い表紙には「神奈川の学校図書館は、こうだ!」と大きく煽るように書かれています。組合で作った冊子には見えないほど(失礼!)なかなかセンスがいい装丁で、発行早々全国各地で話題になっています。
県立高校学校司書の採用が再開されて5年になりますが、残念ながら毎年1~2名の採用に留まっています。当然退職者数に追いつくはずもなく、現在欠員臨任が全体の1/3を占めるまでになっています。10年後に正規職員は何人になってしまうのか?さらにその後には、採用空白17年という大きな世代の溝が控えています。こうした危機感が募り『1』・『2』発行から20年経った昨年度、『なぜ今3』を製作することになりました。
『なぜ今3』とは何かを端的に説明すると、この20年間にわたる学校司書の多種多様な実践記録です。ご存知のとおり神奈川は、県立高校に(行政職であっても)学校司書が全校配置されているため、統一した運動を確保してきました。同じ足並みで進めることで、例え小さな実践でも継続的に共有することができました。開かれた図書館では、目に見える形で生徒・教員や地域との協働も生まれました。この20年間を振り返ると、日々の実践の積み重ねが図書館の足場を支え、教育の一役を担う助けとなりました。その視点に立ったとき『なぜ今3』のコンセプトは、実践の共有化だと考えています。学校司書だけでなく、広くさまざまに共有することで、更なる学校図書館の進化を期待したいのです。
発行してみるとあちらこちら摺り合わせ不足も見えてきましたが、それは「4」への宿題です。『なぜ今3』が皆さんと共に次へと繋がっていく足がかりとなれば幸いです。
(かめだ・じゅんこ 県立津久井浜高校)

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4-2面


雑誌紹介「『季刊教育法』198号(2018年9月刊)」(発行:エイデル研究所)
顧問個人への損害賠償請求-福岡高等裁判所控訴審判決-

本誌98号で紹介した裁判の控訴審判決についての記事である。部活動中の熱中症による死亡事故について、一審は顧問個人に損害賠償金の一部(100万円)を負担するように命じた。大分県教委は控訴したがその理由は、「判決は教職員の部活動への携わり方にも大きな影響があるため」というものであった。福岡高裁は訴えを棄却し、県教委も、なくなった生徒の保護者側も最高裁には控訴しなかったので判決は確定した。これまで学校事故では認められることのなかった顧問個人への損害賠償が事実上認められたことの影響は大きい。高校では中学までと異なり生徒の責任能力が高いと考えられ、顧問の立ち会い義務の在り方が中学校などとは違っている。顧問が順番で休日練習のために出勤するということもあるし、引率顧問などという表現もある。そういう部活動への関わり方全般が再検討されなければならないのではないだろうか。教育委員会は部活動のあり方が大幅に変わっては困るので、これまでと同じように個々の教員を守ると言うだろうが、ことは教育委員会だけでは対応しきれず、顧問個人への事実上の損害賠償請求が増えるのではないだろうか。「季刊教育法」の記事は弁護士が書いたものだが、控訴審判決が現場教員の視点で検討される必要があると思う。

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『共同時空』第101号(2019年3月発行)
神奈川県高等学校教育会館県民図書室
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発行人:畠山幸子
編集:永田裕之
印刷:神奈川県高等学校教育会館
デザイン:冨貴大介
発行:神奈川県高等学校教育会館県民図書室

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