『共同時空』第100号 (2018年10月発行)
県民図書室を戦後教育史研究の拠点に(香川 七海)
『共同時空』は、今回で通巻100号となりました。節目の折に「巻頭言」の執筆をご依頼いただき、とても恐縮しております。冒頭から私事で恐縮ですが、わたしは、2012年4月、教育研究所に研究所員として着任しました。同じ時期に大学院に進みましたので、わたしのこれまでの“研究歴”は、教育研究所や教育会館とともにあったともいえます。そういうわけで、県民図書室にも浅からぬご縁を感じています。このようなかたちで、100号の節目に立ちあうことができ、うれしいかぎりです。
県民図書室の役割については、すでに読者の方々もご存知のことと思います。1984年の創立以来、県民図書室は、①学校教育現場の教師に教材、あるいは、研究資料としての図書や雑誌、映像資料を提供すること。②県民、県外の市民に図書や雑誌を提供すること。③教職員組合に関する史資料を収集、保存すること。以上の3点をその役割としてきました。しかし、2016年度からはその原点に立ち返り、③の史資料のさらなる発掘、整理を中心業務として、所蔵資料を活用できるような体制にしていく方針を打ち立てました(「共同時空」95号)。
③に関しては、これまで関係者のほかには、あまり知られていなかったことかもしれませんが、県民図書室には、戦後の教職員組合に関する膨大な史資料が所蔵されています。これらの史資料を活用すれば、県内の高校教育に関する学術論文が数十篇は書けるでしょう。これほど体系的に教職員組合(単位組織組合)の史資料が保存されている機関は稀有です。しかし、残念なことには、このことが研究者にはあまり知られていません。そこで、わたしは、幾人かの教育学領域の研究者に対して、県民図書室の重要性を宣伝し、アプローチをかけてみました。その結果、ある教育学者によって県民図書室の史資料が重要なものと評価され、2018年度から、日本学術振興会の研究助成を得て、劣化史料や貴重史料をデジタル化(=かつてのマイクロフィルム化に相当)することが決定しました。現在、順次、作業が進んでいます。
デジタル化によって、図書室の史資料は、半永久的に保存することが可能となります。さらに、閲覧や検索の利便性も向上しますし、研究者にその存在が認知されはじめたことで、今後、県民図書室の利用者や所蔵された史資料の引用数も増加することと思います。なお、タイミングのよいことに、2000年代に入ってから、教育学領域の研究者の間では、教職員組合の歴史や戦後教育史に関する学術研究がさかんになりました。また、歴史学者や社会学者、政治学者たちのあいだでも、戦後史研究への関心が向けられています。そうした人々の需要をキャッチすることができれば、県民図書室の公益性もさらに高まることでしょう。
このような県民図書室のあり方は、“開かれた学校”ならぬ、“開かれた県民図書室”の、ひとつの試みといえると思います。今後、さらに県民図書室が開かれた空間となって、様々な図書や雑誌、映像史料や貴重な史資料が有効活用されることを祈念しています。
(かがわ・ななみ 日本大学法学部)
■ 続・ふじだなのほんだなから―県民図書室所蔵の資料案内―《3》 ■
「新制高校」誕生70年!
新制高校が発足して、ちょうど70年。人間でいえば、「古稀」(古来まれという意)だ。
■ クイズにチャレンジしてみよう!
遊びから学びへ。題して70年クイズ。しばしお付き合いください!〈答えは4頁下〉
【Q1】以下のうち、70年前(1948年)の出来事ではないもの(1つ)はどれか。
①A級戦犯7人の死刑執行 ②太宰治入水自殺 ③日教組の結成 ④教育勅語の失効、排除の国会決議 ⑤優生保護法の制定 ⑥祝日法の施行 ⑦帝銀事件 ⑧サマータイムの導入(52年まで)
【Q2】新制高校発足の1948(昭和23)年に開校した高校(今年が創立70周年)は次のうち、どれか。
①厚木東高校 ②大磯高校 ③鶴見高校 ④津久井高校 ⑤茅ヶ崎高校
【Q3】高教組(神高教)が結成大会を開催したのも70年前だが、何月何日か。
①9月15日 ②10月3日 ③11月3日 ④11月23日 ⑤12月1日 ⑥12月23日
【Q4】県内の男女共学は1950年に実施された。少数だが、48年実施もあった。何高校か。
①平塚江南高校 ②逗子高校 ③横浜緑ヶ丘高校 ④鎌倉高校 ⑤山北高校
【Q5】公立の女子高校数が今、一番多い県はどこか。①群馬 ②栃木 ③埼玉 ④福島 ⑤千葉
■ 「高校3原則」って、わかる?
70年前の1948年、戦後の混乱のなかで新制高校が産声をあげた。今日、新制高校という言葉は死語となったが、どのような理念や目標を掲げて創設されたのだろうか。県民図書室所蔵の蔵書(アンダーラインを引き、ゴシック体)を何冊か紹介しつつ概観したい。
発足当時、文部省学校教育局などから出された『新制高等学校の制度と教育』、『新制中学校・新制高等学校 望ましい運営の指針』、『新制高等学校教科課程の解説』の3冊は新制高校づくりのための手引書といえるものだ。『望ましい指針』には「その収容力の最大限度まで、国家の全青年に奉仕すべき」だとして、将来的には入試を「なくすべきもの」とある。
『新制高等学校教科課程の解説』には新制高校の目標として、①社会的公民的資質の向上、②個人的能力と特別な興味の発達、③職業的能力の育成、の3つを掲げている。
目標①は、さらに具体的に「新制高等学校は民主主義の経験を与えなければならない」など7項目が列挙されている。7項目目は「新制高等学校の生徒は、政治的行動に関する資質を高めなければならない」とあり、以下のような解説文がついている。
「新制高等学校の生徒は、政治問題について健全な判断することと自分の信ずるところを有効に表明する方法とを学ばなければならない」、「大切なことは、政治の研究はその形式上の機構に止まってはならない」、「学校はどんな種類の党派的教育もしてはならないが、政治という題目を排除すれば学校の使命を果すことはできない」。今日の主権者教育やシチズンシップ教育などより先を行くような教育方法がここに示されている。
新制高校と同様、高校3原則も死語になっている。「3原則とは何か?」と問われ、即答できる人はどれくらいいるだろうか。「高校3原則」とは、小学区制・総合制・男女共学という3つの原則のことだ。総合制とは、複数学科が併置された高校を指す(例えば、相原高校には1960年代前半まで、農業科に加え、普通科と工業化学科があった)。小学区制といえば、横浜市内と津久井郡は1962年まで小学区だったが、その後中学区となり、周知のごとく今日では学区は撤廃され、全県1区となっている。
■ 「男子禁制」から男女共学へ
3原則の中で、導入が最も難しいとされたのが男女共学だった。「風紀が乱れる」などの理由から、全国高校学校長協会は共学化に反対だった。戦後の共学制の成立とその後について詳細にまとめた著作として、『男女共学制の史的研究』がある。
戦前までは「男女席を同じうせず」だった。小学校も高学年になると男女別のクラスとなり、その後、男子は中学、女子は高女と別学となった。それが、新制中学・高校では共学となった。今では笑い話になるが、当時、男女共学は「驚愕」の大事件だった。女子が1人入学した小田原高校(1900開校)では、「驚天動地」と大騒ぎとなり、校長が「好奇の目で彼女を見ないよう」に生徒にクギを刺したとか。
県立第一高女(01開校)は共学化に伴い、“50年間の男子禁制”を破り、200人余の男子が入学した。校庭の隅にバラックの急造男子トイレが作られ、そこに長い行列ができた。
『若葉出づる頃 新制高校の誕生』には、男女共学1期生(広島では神奈川より早く、49年から共学実施)だった著者(当時高校3年)の体験が描かれている。「あの時代の学校の明るさを知ってほしかった。そして男女共学の最初の実践者としての貴重な歴史を、女の目で語りたかった」と。本書の後半では神奈川など他県の共学化にも言及している。
■ 県内では?
県内の旧制中学や高女が新制高校へどのように移行したかをみるには、『学校沿革史の研究 高等学校編2』がお勧めだ。「旧制中等学校を前身とする神奈川県立高等学校の沿革史」、「神奈川県の高等学校沿革史における男女共学についての記述」という2つの論考があり、各学校において新制への移行や共学化の状況がコンパクトにまとめられている。新聞連載をまとめた『わが母校 わが友』(2分冊)には、湘南、横須賀、厚木、希望ヶ丘、平沼、小田原の各高校における共学化の様子が取材をもとに記されている。
神奈川県戦後教育史研究会編『神奈川県戦後教育史研究』1~3号には「神奈川県における戦後教育改革に関する研究」(Ⅰ~Ⅱ)、「神奈川県公立高等学校入学者選抜制度の変遷」(1~3)、「市町村立学校の県立移管について」などの論文が収録されていて、県内事情を知るには格好の研究誌だ。『高等学校の社会史』には、「神奈川方式」と呼ばれた神奈川の入試制度の変遷を追った「高校入試制度の変遷と問題点」の1章がある。
県民図書室編『戦中・戦後 神奈川の教育事情を聞く』(2001年発行)は元校長や教育長、教育センター所長をされた方々など8人にインタビューをし、それをまとめた労作だが、ここに登場する方々すべてが新制高校の草創期を経験されている。
■ おわりに
新制高校発足時、県立29、市・町立23、私立52校で公私同数だった。42.5%(50年の全国平均)だった高校進学率は70年代に90%を突破。希望者全入も可能だが、選抜は今もなお…。今秋、県立高校改革実施計画Ⅱ期案が発表される。夏の甲子園は100回大会を迎えたが、「高校100年」まであと30年。今後、高校はどう変わるだろうか。過去の70年に少し目を向け、未来像を考えてみようではないか。(文責・綿引光友)
学校図書館は、今…【13】 分教室のゆかいな仲間たち(山田 恵子)
住吉高校には中原養護学校の分教室があり、知的障害のある高校生が通っています。
すれ違う生徒は「司書さん、こんにちは」とあいさつしてくれます。始業(9時)前や10分休みにも立ち寄ります(時には授業中に抜け出してクールダウンする子も)。昼休みには「とう!」と中二病丸出しで登場する、住吉生と混じっておしゃべりや貸出をする、ネットで好きな画像を繰り返し検索するなど、楽しそうな姿が見られます。放課後、友人どうしで本をお勧めしあっている時もあります。普通校生と一緒になる休み時間だと気後れしてしまう子は、担任と一緒に授業時間中に借りに来ます。読書の時間が作られると、「貸し切りだ」と喜びます。司書は普段通り、一人ひとりの好みや特性に合わせてサービスをします。
最初から活発な利用があったわけではありません。利用や依頼があるたび「こんなこともできますよ」とサービスしていくうちに、気軽に話せる教職員や生徒の自由な利用も増え、授業利用も位置づいてきました。4月当初に分教室職員向け利用案内を配布するようにしてからは、名簿や総合の個人テーマ、授業利用時の事前連絡などもスムーズになり、相互貸借等での提供もしやすくなりました。総合の成果報告会に呼ばれ、講評を述べると、それまで支援を断わられていた生徒とも笑顔で会話できるようになりました(司書への親近感大事!)。職業の授業のための清掃活動場所として提供し、保護者授業参観も図書館で行われています。年度末には環境班全員であいさつに来てくれます。3年生一同も卒業式前にあいさつに来て、今年は生徒の描いた絵をプレゼントしてくれました。異動後には、教員と生徒からお礼の手紙が来ました。
特別支援学校にも、司書がいる学校図書館は必要です。すべての生徒に図書館は楽しい・居心地がいい・知が広がることを経験してもらいたいものです。
(やまだ・けいこ 県立向の岡工業高校)
【2頁のクイズの正解】Q1=③、Q2=⑤、Q3=②、Q4=④、Q5=①